このお話は、事実を元にしたフィクションです。

 もしもみのやがパラレルワールドで女の子として産まれていたら…
みのや菓子工房は、そんな異世界のお店です。

 みのやは戦後すぐ、北海道の和菓子屋で産まれました。幼い頃より和菓子の技術を両親から受け継ぎます。実家の和菓子屋も欧米化に伴い、洋菓子を作り始めました。

初めて見るクリスマスケーキはとても輝いて見えました。しかし毎年のクリスマスケーキはお客様に売る分だけ。自分たちの分がありません。

幼いみのやは洋菓子屋になりたいなと、心のどこかで思ったのです。

 みのやは十五歳から函館の和菓子屋に勤めることになります。他のお店で働いて見聞を広げるんだよ、と両親は言いました。

 そのころ、カステラやマドレーヌなど、焼いたケーキが世間では大人気。みのやが勤めていた函館のお店でも、洋菓子風の茶菓子をを取り入れるようになっていました。

 欧米化が進む中、みのやは「これからは洋菓子の時代になる」と確信します。次第に、フランスで洋菓子を学びたいと思うようになりました。

 両親に相談したところ、みのやは猛反対を受けます。和菓子屋の両親にとって、洋菓子は和菓子のオマケだったのです。

 しかしみのやの意志は変わりません。北海道を飛び出して上京し、フランスでの修行ルートがあるラコント六本木に勤めます。

 ラコント六本木での仕事は多忙を極めました。朝四時に出勤し、夜中の二時まで働きます。新人が二、三日で辞めて行きましたが、みのやはどうしてもフランスに行きたいので我慢していました。「フランスでは料理もできないと通用しない」と言われ、料理の勉強もスタート。今はフランスに行くことだけを考えようと、がむしゃらに働きました。

 ある日、フランスの名店カメリアのオーナー、ジョン・ドラベール氏の目に留まったみのやは、念願かなって、ついにフランスへ行くことになります。みのやが二十七歳、一九七四年のことでした。

 希望に満ち溢れるみのやでしたが、フランスへ到着してからも苦労の連続です。みのやはフランス語が話せません。ほかの料理人たちに虐められるのは当然のことでした。みのやが作ったものは目を離した隙にゴミ箱に捨てられてしまいます。「みのやは使えないから日本に帰してくれ」日本の会社に連絡をされました。

 ドラベールさんに電話をすることが出来たみのやは、必死に現状を伝えました。お店にやってきたドラベールさんは、店の裏にあったゴミ箱を全部ひっくりかえしました。そこにはみのやの作ったケーキや料理が散乱していました。それだけではありません。お皿や調理器具も出てきました。料理人たちが、洗うのが面倒だからと、ゴミ箱に捨てていたのです。

 料理人たちは一人を残し、全員居なくなりました。

 残された料理人はエマでした。みのやに興味は無く、いじめることもありませんでした。仕事にひたむきで、ほかのことには目もくれない料理人でした。

 入れ替わりで入って来た料理人たちにとって、みのやは先輩です。次第に友人も増え、みのやは毎日レストランで腕を振るうことが出来ました。

 ある日、エマが言いました。「みのや、日本のデザートを作ってよ」
みのやの才覚に気付いていたエマは、次第に彼女に興味を持つようになったのです。

 みのやがデザートの飾り菓子を飴細工で作ると、友人たちは大喜び。エマもこんなに美しいお菓子を見たのは初めてでした。色とりどりの花や動物や金魚です。

 みのやは嬉しくなって、練り切りを見せたくなりました。しかし、練り切りはフランスにありません。マジパンで桜や菊を作りました。美しいグラデーションは、みのやが和菓子屋だった時に習得した技術でした。

「どうやるの? みのや、私たちにおしえてよ!」当時、和菓子から洋菓子への転向をする人はあまり居ません。フランスの友人たちは和菓子の技を初めて目にしたのです。みのやの和菓子と洋菓子の融合は、フランスの友人たちを大変驚かせました。

 エマはみのやだけではなく、日本にも興味を持ちました。フランスが料理の最高峰だと思っていたけど、日本にも学ぶところがあるかもしれない…。この不思議な日本人を、密かに観察することにしたのです。

 四年後。

「みのや〜、バカンスは私と一緒にプロヴァンスに行こうって約束だったじゃない!」膨れっ面のエマ。
「ごめんエマ、今ハム作りにハマってるの。師匠に養豚から教わってて…泊まり込みで一か月、勉強させてもらいに行くんだ。」
「もぉー! みのやはお菓子屋でしょー! 本場のカリソンは日本茶にも合うんだよ~食べに行こうよ〜!」

 すっかり親友になった二人は、料理やお菓子の研究に切磋琢磨していました。エマは、一度見聞きしたことはすぐに覚えて再現してしまいます。この子の頭、どうなってるんだろう?みのやはしょっちゅう天を仰いでいました。

 ある日、ドラベールさんに新店舗での勤務を打診されたみのやでしたが、すぐに返事をすることが出来ません。迷っているみのやを見て、「日本に帰りたいんだね。」と、エマ。すっかり心を見透かされていることが分かったみのやは、エマに理由を話しました。実はそのころ、もうひとつ、別の誘いがあったのです。

 それは札幌の有名ホテルでの勤務でした。
長年離れていた実家に近く、みのやの心は揺れています。

「オヤコウコウ!」エマは大きく頷きます。「そんな日本語よく知ってるね。」みのやはもうそんなに驚きませんでした。「みのやの技術、日本にワケがあるって思うから。ちょっと勉強してるんだ。そのうち、みのやを追い抜いちゃうからね。」エマはにやりとします。

 みのやはドラベールさんに謝って、日本に帰ることを決めました。
レストランの皆と、エマと、お別れです。レストランの後輩たちは泣いていましたが、「また会えるから」エマは笑っています。こうして、四年半のフランスでの生活に幕を閉じました。

 ホテルでの激務も、カメリアでの毎日とそれほど変わりません。
「鈴木さんが体調崩して…みのやさん、明日出れますか?」
「はーい!(二か月以上連勤なんだけどな…)」
「急な予約、三十名様なんですが…」
「はーい! 大丈夫ですよ!(ひえ~残業時間、三百超えちゃう…)」

 みのやは疲れも忘れてお菓子を作り続けます。

 部屋のベッドにダイブした瞬間、電話のベルが鳴りました。「こんな遅くに…お母さんかな?」みのやの予想は的中します。母から告げられたのは、実家の和菓子屋の閉店でした。

「もうね、年だからさ…」
 お母さん、いつからこんなに弱弱しい声になっちゃったんだろう。「うん…仕方ないね…。」みのやはそう答えることしか出来ません。

 兄も大手の菓子メーカーで商品開発に就いているし、みのやも一流ホテルでの仕事が始まったばかりです。

 実家周辺は過疎化が進み、追い打ちをかけるように原発が建てられたことで人口は激減。売り上げも落ちて行き、閉店は時間の問題でした。

「また仕事落ち着いたら顔出すね。」みのやは受話器を置きます。
 ベッドに戻り、久々に子どもの頃のことを思い出していました。
「こんなに複雑で繊細で美しいお菓子は、他の国には無いんだよ。和菓子が一番なんだ。」
 両親にいつも聞かされていた言葉です。

 父さん、お母さん。二人は和菓子が一番なんだね。私、分かったの。気候も違う、文化も違う。色んな人生を生きた人たちが、自分たちのお菓子を作ったんだ。昼下がりのゆったりとした時間や、大切な食後の語らいを彩るために。自分の一番を作ればいいんだよ。私たちは、誰かのひとときを、そこに居なくても共に過ごしている。

 ホテルで働き初めて三ヶ月経ったころ、やって来たのはとても競争心の強いパティシエでした。「競合店からの転職者なんだって。」噂が耳に入ります。彼は自分より優れているみのやが邪魔で仕方がありません。
「そんな火力じゃダメダメ! カスタードクリームは強火で一気に煮上げないと粘りが出るだろう!」
「そんなこと分かってる…」

 反論するみのやを横目に、彼はガスの出力を最大にします。鍋の下から燃えがるキャンプファイヤーのような炎の隣りで、「ほら、混ぜないと焦げるぞ!」とすごむ男。
「えっええええ…」みのやがあっけにとられている間に、クリームがどんどん焦げてしまいます。思わず鍋に手を突っ込んだみのやでしたが…
「なんだおまえ、カスタードクリームも作れないのか。」残ったのは、無残な姿のクリームと、真っ赤になったみのやの腕でした。

 帰り道、雪を踏みながら歩きます。涙にあたる風がとんでもなく冷たく、なんだか消えてしまいたいような気持ちです。下を向いて歩いていると、誰かがみのやの肩をつかみました。とても温かい手です。
「やっと見つけたよ!」それはカタコトの日本語でした。

目の前に居たのはエマでした。

みのやは幻なのか現実なのか分からず、茫然とエマを見つめます。
「日本に来て、見つけたみのやが、泣いてるなんて、悲しい…」心配そうなエマ。はっとして、みのやは思わず笑ってしまいました。
「エマ! たった半年で日本語覚えちゃったの?」
「わたし、料理、ちょっとは上手、だけどね、ふつーに天才。」
腰に手を当てて、人差し指を立てるエマ。
泊まるところが無かったので、二人はみのやの部屋へ行くことにしました。

「あんなワケの分かんない人にされたことなんてどうでもいいんだ。洋菓子を選んでフランス勤務までやって…その結果がこれなのかなあって思うと、泣けて来ちゃうよ。」
痛む腕を見つめるみのやは、最近買った冷蔵庫からオレンジジュースを出しながら、ぽつり。
「お母さんから電話が来た時、私が店を継ぐから心配しないでって、言えてたらなあ…」大きなため息をつきました。
「今からでもやり直す、とか…」エマはおずおずと提案します。
 みのやは首を振って言いました。
「もう、あの村では…出来ないんだ。」
抗えない社会の変化は、みのやにはどうしようもないことでした。

「そういえばエマ、どうして日本に居るの?」
「えへへ。」照れ笑いするエマ。
「わたし、日本のこと、みのやのこと、もっともっと知りたくて日本に来たの! また一緒にお菓子を作ろうよ! こんどは日本で! 日本のこと教えてね、みのや!」
「日本のこと、か…。」

 あのまま地元に居たら、日本から出ていなかったら、知らなかったことだらけなんだ。フランスで暮らす人たちのことや、そこで生まれた料理のこと。何より「和菓子」のことを、日本を出てたくさん考えるようになった。フランスに行って、エマに会って。

「私もエマと一緒に、もう一度日本のことを学びなおし、かな。」

 エマの希望で、二人は東京の秋葉原に訪れました。
「今、日本と言えば秋葉原でしょ。フランスで大人気なんだよ。」
観光パンフレットを見ながらエマが力強く言います。
「私、初めて来たよ。なんだかキラキラ…というかギラギラした街だねえ。」
みのやそわそわキョロキョロ。
「ここなら世界中の人にお菓子を食べてもらえるよ! 日本の最先端だよ!すっごくエネルギーに満ちているよ! みのや、私たちのお店は秋葉原に作ろう!」
「エネルギー強すぎてなんだかドキドキするけど、エマがそう言うなら…」
こうして二人は、秋葉原に小さなお店を出しました。
フランスと日本の伝統を掛け合わせた、
革新的で最先端なお菓子を作ります。
懐かしいのに新しい。
ひとくち食べるとほっとする、わくわくするお菓子です。

 ―みのや菓子工房が生まれるまで―

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